言い伝えとして、元禄4年(1691年)6月、松平源次郎乗邑が当所を拝領したとき、神社の境内に馬屋を仮設して神意に背き、故に悪疫が流行したため、湯立をして祈願したところ、巫女に「神域を馬で汚したので神様は加茂村字河内へお出ましになった」との託宣があったので、同月14日氏子総出で笛、太鼓、鼓の囃子で神様をお呼び戻しをしました。そこで翌年から毎年旧6月14日を神事踊りの日と定め、踊りを奉納する習慣になり、宝永4年(1707年)伊勢一色から和谷権太夫(旧伊勢三座の一つであったが、元禄時代から喜多流となる)を招き、それまでの神事踊りを改めて~能楽を勤める事となりました。
これが賀多神社の能楽の起こりであります。
正徳2年(1712年)に大暴風があり、境内の樹木が損傷した為、その樹木を以て建造。現在残っている舞台は嘉永7年(1854年)に造られたもので、現在組み立て解体を継続しながら実際に使用されている国内で唯一の舞台であります。
平成6年に県指定有形文化材となりました。
これらは天保年間(1845年頃)鳥羽城主稲垣氏十九代の当主、摂津守長明氏の奥方が、越後高田城主榊原氏から輿入れの時、調度品として持参せられたもので、後に安政2年(1855年)これを賀多神社へ寄贈せられました。
能面42面・・室町、桃山〜江戸時代の作
装束76領・・多彩豪華な唐織をはじめ優秀な作が多数あり、
制作年代も最盛期である江戸中期前後の物が大部分を占めます。
能・・・喜多流(能五流、観世・宝生・金剛・金春・喜多)
狂言・・大蔵流(狂言二流、 大蔵・和泉)
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