神社の歴史
当社は、奈良時代聖武天皇の神亀元年(724年)のご鎮座といわれ、古くは八王子社と称して五男三女~をお祀りしていましたが、明治4年(1871年)郷社となり、賀多神社と改められました。その後明治40年には、近郷の12社を合祀し18柱の御祭~をお祀りしています。
賀多神社の名称
今もある相橋、昔その奥に加多の架け橋があり2丁目(旧大里町)をカタマチといい、入江で加多の奥という所があり、潟とも書いた。おそらく其処から神社の社名は取られたと思われます。
御祭~
正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命、天之菩卑能命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須毘命、多紀理毘賣命、市寸嶋比賣命、多岐津比賣命、倉稲魂命、建速須佐之男命、奇稲田姫命、鵜茅葺不合命、豊玉姫命、譽田別命、大山祇命、鹿屋野比賣命、大山咋神、大己貴命
氏子
当社の氏子は、鳥羽市の本町・大里・岩崎の三町を中心に組織されており、正月の元旦祭・4月の宵宮祭・例大祭等にご尽力いただいています。
拝殿に上がる石段の左側の梛の木は、丈夫な葉が切れにくいことから、縁結びの木とされています。 また、その名が凪に通じるとして、特に船乗りに災難除けとして信仰されてきました。 |
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三重県鳥羽市鳥羽2丁目9−1
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